沿革

1.創立から遠間氏の指揮者辞任まで(1953~1962)

 松原混声合唱団の前身である松原コーラスは、1953年(昭和28年)春に遠間叡子氏の手によって世田谷区松原の遠間家の一室で誕生した。
 メンバーは遠間氏の門下生と駅のポスターなどで存在を知って入団してきた人たちであった。
当初は「松原コーラス研究会」と称したようであるが、これは当時隆盛をきわめていた「うたごえ運動」とは異なる道を行こうとする意思の表現といえるだろう。
 松原コーラスの活動は世田谷合唱祭,関東合唱コンクールなどを中心に行われ、1956年(昭和31年)の第11回関東合唱コンクールでは奨励賞を受けるなどの評価を得ていた。
 しかし、当時男声パートの中心となっていた電気通信大学グリークラブのメンバーが1957年(昭和37年)3月に卒業,就職するとともに、活動は低迷状態になってしまった。
 その後も少数のメンバーが歌い続けていたが、1962年(昭和37年)3月になって、健康を害された遠間氏は指揮者を辞任された。当時の松原コーラスの運営を担っていた遠間拓平氏(遠間氏のご子息)の提案で、同氏と野村維男氏(元松原混声会長)が所属していた早稲田大学コール・フリューゲルの常任指揮者であった関屋晋氏に指揮をお願いすることになった。


2.関屋氏の常任指揮者就任と活動の再開(1962~1973)

 関屋氏の常任指揮者就任を機に名称を「松原混声合唱団」と改め、1962年(昭和37年)10月の都民合唱コンクールから演奏活動を再開し、さらに翌1963年(昭和38年)からは湘南市民コールとの合同演奏会を開催した。
 湘南市民コールは1959年(昭和34年)から関屋氏の指導を受け、この頃すでに神奈川県下の有力合唱団であり、松原は合同演奏会を通じて、いわば湘南の胸を借りる形で成長を続けたことになる。
 関屋氏の熱心な指導が少しずつ実を結ぶとともに熱心な新しいメンバーが加わり、1968年(昭和43年)から東京都合唱コンクールに参加し毎回入賞するだけの実力を持つようになった。


3.全国大会金賞による転機(1973年~1978年)

 松原の次の転機は1973年(昭和48年)のコンクールである。この年、松原は東京都合唱コンクールで初めて金賞を受賞し、一般の部東京代表となった。
 そして、11月に岡山で行われた全日本合唱コンクール全国大会に初出場で金賞を獲得した
 この時以来、松原はまた新しい道を歩み始めることになった。
 単独演奏会を開催するようになったのも全国大会金賞がきっかけであるし、種々のステージへの出演依頼を受け、活動の範囲も徐々に拡大していった。
 コンクールには1977年(昭和52年)まで出場し、5年連続東京代表となり全国大会でも常に上位入賞を続けた。その後、松原は新たな展開をはかるためコンクールには出場しないことにして現在に至っている。


4.小澤征爾先生との出会いと晋友会の発足(1978年~1986年)

 1978年(昭和53年)になって松原はさらに大きな転機をむかえた。
 小澤征爾先生との出会いである。
 同年9月15日松原は湘南市民コールと合同で小澤征爾指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団とドボルザーク「スターバト・マーテル」を演奏し、小澤先生から高い評価をいただいた。この演奏会の実現にあたっては関屋氏の古くからの合唱仲間である岡山尚幹氏の尽力があった。
 以来、小澤先生の指揮により歌う機会をたびたび持つことが出来るようになった。これらの演奏は関屋氏指導の各合唱団合同によるものであるが、1980年(昭和55年)にマーラー「交響曲第8番」(千人の交響曲)を演奏するのに際して「晋友会合唱団」を結成するに至った。
 その後、「晋友会合唱団」は、小澤征爾=新日本フィル交響楽団をはじめとして、国内外の多くの指揮者、オーケストラとの協演を重ねていった。


5.海外での演奏活動へ(1987年~現在)

 晋友会合唱団の活動が評価されるようになるにつれ私たちはすばらしい音楽体験を得られるようになってきた。海外での演奏活動の機会もその一つである。
 晋友会合唱団としての最初の海外活動は1987年(昭和62年)1月のウィーン楽友協会ホールにおけるマーラー「交響曲第2番」(復活)であった。
 そして1988年(昭和63年)6月には小澤征爾先生の推薦により、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会でオルフ「カルミナ・ブラーナ」を演奏するというチャンスを得た。
 日本の合唱団の海外公演はもはや珍しいことではなくなったが、世界最高レベルの指揮者,オーケストラと、しかもその本拠で協演した合唱団は晋友会が最初である。
 この演奏は大きな反響を呼び、1989年(平成元年)12月30,31日ベルリン・フィルのジルベスター・コンツェルトで再演された。
 1988年は演奏会と並行してレコーディングが行われ、また1989年のステージはライブ録画されてCDとLDがいずれもフィリップスから発売されている。
 さらに1990年(平成2年)8月には、晋友会から選ばれた30人がアッシジ音楽祭で各国の合唱団と合同でハイドン「天地創造」を演奏した。その後も1994,5年のベルリンにおけるIPPNW主催の平和コンサートへの出演、日本におけるサイトウキネン・オーケストラ、ウィーン・フィルなどとの協演などワールドワイドな活動を続けている。
 これらの晋友会の活動に松原は積極的に参加し、湘南市民コールとともにその中核となっている。

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