松原混声に60年以上在団し、合唱連盟の活動でも活躍されている野村維男さんによる「むかしばなし」シリーズの第2回です。元は団員向けに執筆されたものですが、合唱文化の歴史の一端を知ることができる貴重な資料でもありますので、ご本人の了解を得て公開しています。
関屋 晋先生のこと
2020年4月18日
野村維男
4月9日は関屋先生のご命日でした。本来なら練習日でしたから練習では想い出が語られ、練習後には何人かが集まって献杯し先生を偲んでいたはずです。
あれから15年も経ちましたからその後に入団したメンバーが多いのは当然ですが、休会中の方を除いて現役の半数に近いメンバーが関屋先生の指導を受け、その後も歌い続けていることを心強く思っています。
新しいメンバーのみなさんも関屋先生を直接知らなくても、残された無形の財産の中で歌っているのだと思います。
関屋先生に松原の指導をお願いした頃の「むかしばなし」を書いてみます。
***
関屋先生が松原に指揮者として登場されたのは1962年でした。
当時メンバーが 10 人そこそこの合唱団に 34 歳の若い関屋先生がしてくださったことは単に指揮だけではありませんでした。
メンバーの確保
松原の当面の課題はメンバーを増やすことでした。関屋先生はまず当時指導されていたいくつかの職場合唱団のメンバーを松原に勧誘してくださいました。他のメンバーも、それにならって後輩を誘い、その後輩が高校の同級生や後輩を連れてくる、会社の同僚に声を掛けるなどして少しずつ仲間を増やしてゆきました。この頃入団したメンバー、特に女声はその後数年に渡って運営や練習の中心として活躍して、松原の基礎を作ってくれました。
目標の設定
当時の松原には演奏機会がほとんどなく「愛唱曲集」などをほそぼそと歌っていました。関屋先生が松原の目標として最初に提案されたのは「都民合唱コンクール」への参加でした。今はありませんが、このコンクールは東京都が主催して東京文化会館で開催されていました。大編成部門と小編成部門に分かれているなど、合唱連盟コンクールよりはハードルが低かったのです。1962 年秋の都民合唱コンクールが関屋先生との最初のステージとなりました。
もう一つ大きな目標は、すでに数年前から関屋先生の指導を受けていた湘南市民コールとの合同演奏会でした。湘南市民コールが兄貴・姉貴分として松原をリードしてくれました。そのお付き合いは代を替えながら現在まで続いています。
団内コミュニケーション
新年会や合宿の定番で、前号でも傑作集が掲載されている松原伝統芸能「お歌会」は関屋先生が「導入」されたものなのです。さまざまな経験、経歴のメンバーの寄せ集めであったこの頃の松原は練習以外にも集まってお互いを知ることが必要でした。今だとアルコールが入って宴会でしょうが、当時の女声陣があまり飲まなかったこともあって、お茶とお菓子の集まりでした。そのような時にいろいろなゲームを紹介してくださったのは関屋先生でした。タネ本があったのだろうと思います。他にも楽しんだゲームはありましたが記憶に残っていません。「お歌会」だけが「継承」されてきました。
あの頃の団内コミュニケーションについて前号に書きましたが、あれ以外に印刷した「会報」も発行していました。ごく初期の頃は「会報」も関屋先生のガリ版印刷だった記憶があります。現物が家のどこかにあると思うのですが見つかりません。
余談ですが、先生のガリ版印刷技術は定評がありました。入手された貴重な外国版の楽譜をガリ版印刷でコピーしたもので松原や湘南やフリューゲルは練習していました。ガリ版印刷の楽譜には「孔版印刷」という商標(?)が記載されていました。どのくらいビジネスになっていたのでしょうか?もっとも現在だったら著作権法違反ではあるのですが、当時としては外国の新しい曲などはそうでもしなければ歌えなかった事情はありました。
※編者注;「お歌会」とは松原混声の宴会で行われる、短歌ゲーム。全員分の用紙を配り、御題(テーマ)に合わせて、五七五七七の順に書き込んでは紙をシャッフルして配り直すことを繰り返し、5人で1首の短歌を作る。前の書き込みを折り込んで隠し、ひとつ前の書き込みだけを見て記入するのがミソ。想像力と言葉のセンスが試される。
外部への目
合唱団はともすれば自分の合唱団中心の考え方になりがちです。どこかの大統領ではありませんが「MATUBARA FIRST!」というわけです。
同じ指揮者なのにキャラクターの異なる湘南市民コールとの出会いが松原にとって大きな刺激であったように、自分の合唱団の外に目を向けることはとても大事なことだと思います。
関屋先生が創立メンバーの一人だった日本合唱指揮者協会を通じて多くの合唱指揮者やさまざまな合唱団との繋がり得る機会をいただきました。松原が理事として東京都合唱連盟の活動に加わっているのも、新実徳英先生の「つぶてソングのつどい」への参加もその延長上にあると言ってよいでしょう。これからも、私たちは広く社会への視線を持ち続けることが必要だと思っています。
***
ここに想い出話として書いてきたことは、実は合唱ばかりでなく団体や企業にも共通するマネージメントの基本ばかりです。関屋先生が松原に与えてくださったのはもちろん音楽の素晴らしさ、合唱の楽しさなのですが、ヨチヨチ歩きの合唱団に若い指揮者として何が必要か、という試行錯誤のなかから創りだされたノウハウだと思います。
※本稿に記載した内容は野村維男個人の意見・感想であり、松原混声合唱団としての見解ではありません。