松原むかしばなし(其の四)

松原混声に60年以上在団し、合唱連盟の活動でも活躍されている野村維男さんによる「むかしばなし」シリーズの第4回です。元は団員向けに執筆されたものですが、合唱文化の歴史の一端を知ることができる貴重な資料でもありますので、ご本人の了解を得て公開しています。

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皆川達夫先生

2020年4月30日
野村維男

皆川達夫先生が4月19日に亡くなられました。

皆川先生と松原の出会いは日本合唱指揮者協会の「知られざる名曲をたずねて」合唱連続演奏会がきっかけでした。この催しは主としてヨーロッパの合唱作品を取り上げて、1971年から1990年まで20回に渡って開催されました。1回に2~3公演あり、1公演に数合唱団が出演していました。

演奏会の準備には皆川先生など監修者の先生方、指揮者協会の先生方、そして出演合唱団の代表者などが何度も集まって打ち合わせたり、監修者のレクチャーを伺ったりしました。また、試演会があり監修者からのコメントをお聞きする機会もありました。この試演会には本番より緊張したものです。

私が皆川先生を始めとして、佐々金治先生、村谷達也先生、辻正行先生など当時活躍されていた指揮者の方たち、さらに他の合唱団の代表のみなさんの知己を得たのはこの演奏会のご縁で、以来私の大きな財産になりました。公演の最後は皆川先生の指揮でガブリエリの三重合唱曲を合同で歌うのが決まりになっていました。この時先生は40代半ばだったはずですが、すでにオーラを感じました。ワインについてのご造詣の深さもこの頃に知ったと思います。

松原は20回の内8回出演しています。特に立ち上げ期の第1回から第4回まで連続出演していますので私の顔を覚えていただけたようです。

私はその後合唱連盟に関わることになり、いろいろな場で皆川先生にお会いする機会が出来ました。コンクール審査員、特に中学・高校部門の時は「今日はハンカチを3枚持って参りました」などとおっしゃるのをよく聞きました。演奏を聴くと涙が止まらない、ということです。中学や高校の生徒が歌う姿を見るとこの言葉を思い出します。

講演では穏やかな口調で豊かな学識に裏づけられた内容を話してくださいました。理事会でのご発言も重みがありました。会議ではいつも起立して話され、他の理事から「お座りになって」と言われても「この方が慣れていますから」とお答えになるのが常でした。

先生が合唱連盟で力を入れておられたのは、合唱センターと国際化でした。

合唱センターは全国の合唱連盟や合唱団の募金を基金として1979年に恵比寿のビルの2フロアを購入し楽譜25,000冊、図書1,500冊などを備えた資料室と練習や講座に使えるホールを持つ施設がオープンしました。全日本合唱連盟創立30周年事業でした。皆川先生は2代目館長として、合唱に特化した図書館といえるセンターを充実したものにするよう努力されました。ご自分でも楽譜や資料を調べておられるお姿をよくお見掛けしました。

2011年の東日本大震災で合唱センターの入居しているビルの耐震構造が不十分であることが分かり、資料室を連盟本部に移すことになりました。耐震構造強化の工事に巨額の費用が掛かることもあって、連盟はここを売却することになりました。

先生から「恵比寿のセンターをなんとか維持できないだろうか」というお便りをいただいています。とても心苦しいことでした。私自身も全国の合唱団員の浄財で出来た合唱センターが姿を消して、40年前の合唱団員たちの思いが忘れられて行くことに抵抗がありました。しかし、連盟の財政状況からは売却という選択肢しか見出せませんでした。

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日本の合唱の国際化も先生が取り組んでおられたテーマでした。

日本の合唱レベルの高さ、合唱作品に対する高い評価はコンクールの外国人審査員の方たちが「ハーモニー」のインタビュー(インタビュアーは敬一さん)で必ず述べておられます。しかし、世界に日本の合唱がどれほど理解されているか、となると今でも課題があります。限られた作曲家、作品、指揮者、合唱団しか国際的に知られていないこと、日本の合唱界が世界標準から少し異なるところにいると思われることを皆川先生は憂慮されていたのだと思います。世界合唱連合や世界合唱シンポジウムなどを通じて感じ取られたことを日本の合唱界に伝えて、世界に目を開くようにしばしば発言されていました。

その結果として実現したのが2005年に京都で開催された「第7回世界合唱シンポジウム」でした。私はこの企画の初めころから関わることになり、ここでも皆川先生がこのシンポジウムの価値、日本で開催されることの意義についてのお言葉をいろいろな場で伺うことができました。

そして7月、「京都の夏は殺人的です」との皆川先生のお言葉通り、猛暑の中で世界各国から多くの合唱人が集まりシンポジウムは開幕しました。外国の参加者にとっては初めて触れる日本の合唱作品や演奏だったと思いますし、日本の合唱人にとって世界の合唱と密に接する機会を得たことになるのではないでしょうか。

京都国際会館で世界の合唱指導者と談笑しておられる姿、会館の庭園の厳しい暑さの中をジャケット、ネクタイで決められた先生が悠然と散歩しておられる姿を思い出します。

昨年2月、全日本合唱連盟主催の「ルネサンス・ポリフォニー選集」出版記念コンサートに松原が出演することになり、皆川先生が解説と中世音楽合唱団の指揮をなさることを知って楽しみにしていましたが、体調不良でご出演されなかったことは本当に残念でした。

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余談ですが数年前からお目に掛かると「また某所でお会いしましょう」というお声がかかりました。全く偶然なのですがあるとき理髪店の隣の椅子で皆川先生が散髪されていて、その後も何回かお会いしました。それ以来の挨拶のお言葉です。

享年92歳。関屋先生と同世代、そしてお二人は府立八中(現・小山台高校)の同窓です。何となく松原とのご縁を感じます。

思い出すことがいろいろあります。日本の合唱界における大きなご業績、日本の文化へのご貢献を改めて深く感じています。

ご冥福を心からお祈り申し上げます。


※本稿に記載した内容は野村維男個人の意見・感想であり、松原混声合唱団としての見解ではありません。

編者追記

皆川先生といえば、NHKラジオ第一「音楽の泉」(日曜朝8:05~)での司会を約31年にわたりなさっておりました。最終回の放送は3月29日(日)、まさに生涯現役のご活躍でした。私も先生の著書を何冊かもっていますが、文調がとても柔らかで、ラジオを聴いているかのようです。改めてご冥福をお祈り申し上げます。(真下洋介)