松原むかしばなし(其の九)

松原混声に60年以上在団し、合唱連盟の活動でも活躍されている野村維男さんによる「むかしばなし」シリーズの第9回です。元は団員向けに執筆されたものですが、合唱文化の歴史の一端を知ることができる貴重な資料でもありますので、ご本人の了解を得て公開しています。

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ヤマトタケル

2020年6月4日
野村維男

「ヤマトタケル」という大掛かりなイベントに晋友会の一員として出演していました。ほぼ10年間続いたイベントで、ベテランメンバーには結構なつかしく思っている人がいると思います。その後に入団したメンバーには「何それ?」でしょうが、滅多にできない経験を書いてみよう、と思った次第です。

「TEPCO 1万人コンサート」は1989年に始まりました。TEPCOつまり東京電力の主催事業です。東電の利用者還元事業の一つとしてサービスエリア各地の合唱団と男声カルテット「ボニー・ジャックス」との交流会「TEPCOふれあいコンサート」を開催し、その集大成として毎年4月に国技館で(後には日本武道館でも)開催されていました。

始めの10年間に演奏されたのがオラトリオ「ヤマトタケル」(作・構成:なかにし礼 作曲:三枝成彰)でした。日本書記では日本武尊、古事記では倭建命として登場する英雄の波乱万丈の生涯をテーマとした作品です。

晋友会は第2回の1990年から参加しているのですが、第1回は晋友会のスケジュール的に無理なので有志参加の形だったのかもしれません。

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国技館に関東各県から「TEPCOふれあい合唱団」が集まり、それに晋友会と栗友会が加わって5,000人の大合唱団が桟敷席を埋めました。残りの5,000人はお客さんというわけです。

出演はボニー・ジャックス、島田祐子、深緑夏代、特別出演が先代市川猿之助。そしてオーケストラと合唱は2組ありました。東京シティ・フィルハーモニー管弦楽団(指揮:堤俊作)と栗友会がヤマトタケル率いる「ヤマト軍」つまり「官軍」。東京交響楽団(指揮:大友直人)と晋友会がヤマトタケルと対抗する「荒ぶる神」つまり「賊軍」。TEPCOふれあい合唱団も2組に分かれていました。合唱指揮は関屋晋、栗山文昭、古橋富士雄、副合唱指揮に清水敬一など5人のみなさん、こちらも当然両軍に分かれての布陣でした。

凝った造形のステージの前に2組のオーケストラが並び、ステージ上にはヤマトタケル、大王、オトタチバナ姫などに扮した歌い手のみなさん、そして2組の児童合唱団が配置されました。麿赤児・大駱駝艦の舞踏が登場したり、合唱団の持つ明かりを点滅したり、とにかく派手な演出で、極めつけはヤマトタケルの魂が白鳥となり空へ昇って行く場面では市川猿之助の宙乗りが見られました。

合唱は、アリーナ後方、はるか彼方の合唱指揮者の指揮をモニターで2階席の副合唱指揮者に伝えるという二段構えの指揮で歌いました。晋友会、栗友会が出演することになった経緯はよく知りませんが、TEPCOふれあい合唱団だけでは圧倒的に女声が多くなってしまうこと、それなりの難易度であること、などが理由だったのではないかと思います。合唱団の音を拾うマイクは晋友会と栗友会の前にしかありませんでした・・・

演出やステージ造形は毎回少し変わったと思いますが、出演者が第4回に深緑夏代から郡愛子に変わった以外大きな変更なく続きました。深緑夏代の凄い低音はなかなか楽しみだったのですが。

1995年の第7回からかなりの改編がありました。歌い手が錦織健、塩田美奈子、福島明也などに変わり、ボニー・ジャックスは語部という役だけになりました。歌い手のみなさんは歌専門で演技するのは別の俳優さんでした。そしてこの形で1998年の第10回まで続いて「TEPCO 1万人コンサート」での「ヤマトタケル」は終わりました。

コンサートそのものは翌年から「新かぐや姫伝説《眠り王》」(作・構成:なかにし礼 作曲:小六禮次郎)が始まりました。こちらも「ヤマトタケル」と同様の構成でしたが、芝居はなんと先代市川團十郎はじめとした歌舞伎役者さんになりました。晋友会は2004年までこの「眠り王」にも出演していました。

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「ヤマトタケル」は「TEPCO 1万人コンサート」以外でも何回か演奏されています。最初は1994年9月、サントリーホールで上演された「改定初演」です。いわば劇場バージョンで、歌い手は小林一男、澤畑恵美、戸山俊樹などオペラ歌手だけ、オーケストラは東京交響楽団、合唱も晋友会だけになりました。オラトリオとは称していましたが演奏会形式のオペラ、といった感じでした。

前に述べましたが、合唱には「官軍」と「賊軍」の役割があります。これを1合唱団で両軍を演じることになると結構大変なことが分かりました。何しろ「官軍」を歌って次の小節では「賊軍」に変身するケース、あるいは逆のケースが何か所かあり忙しいことになりました。また、1995年1月には東京都交響楽団の定期で「日本の作曲家シリーズ《三枝成彰》」で第4楽章<東征>だけを演奏しています。出演者は一部異なりますが前年の「改定版」の再演で、指揮は大友直人でした。この「改定版」2回の演奏は国技館のオリジナル・ヤマトタケルとは別企画ですが並行で行われています。

「1万人コンサート」が「眠り王」になった後には三枝さんの事務所の主催での公演が次のように2回あり、それにも晋友会が出演しました。

2001年7月にはオペラ「ヤマトタケル」がオーチャード・ホールで2日間上演されました。このオペラはカンタータ改訂版を3幕のオペラに改編したものでした。出演は錦織健、塩田美奈子、福島明也など、オーケストラは現田茂夫指揮・東京交響楽団、児童合唱、ダンサーそれに晋友会というラインアップでした。私はこの時は歌っておらず客席で聴いています。4段の巨大な本棚が舞台の上手下手にあり、そこに本の背表紙が並び、舞台中央のページを開いた本の上が歌い手や踊り手が演技するステージ、そして本棚の背表紙の一つ一つから合唱団員が顔と手を出す、という奇抜な装置です。合唱団は歌いにくそうだなと少々心配しながら見ていました。初日だったためか、舞台進行が少々滞るところがあったり、セリフの音声が聞きとれなかったりして気になっていました。幕間に客席で三枝さんにご挨拶したのですが、にこやかな笑顔からすぐに厳しい表情でスタッフに指示されていたのを覚えています。2002年9月には「三枝成彰 歌の世界」というコンサートがありオペラ「ヤマトタケル」の一部がプログラムに加わりました。このコンサートは三枝さんの声楽曲、カンタータ、オペラ6曲を抜粋して構成したもので、晋友会は他にも「レクイエム」「天涯」「忠臣蔵」の合唱パートを歌っています。

晋友会としてはこれ以降、歌う機会はありませんが、10年くらい前だったでしょうか、東京都合唱祭で「ヤマトタケル」の一部を歌った合唱団があって、聴きに来ておられた三枝さんとお会いしたことがあります。ネットで検索すると2017年と2019年に大阪で再演されていますし、三枝さんが「自分の転機になった曲」と話しておられるように思い入れのある作品なのだと思います。その作品がいろいろと展開して行く過程に関われたことは意義深いことでした。

「TEPCO 1万人コンサート」の始まった1989年はバブルの絶頂期で、この催しもバブルの産物のような形でした。バブルは1990年代初めに崩壊したのですが、安定した公益企業の主催だったことが幸いして、晋友会が出演しなくなってからも続いたようです、おそらく2011年の原発事故までは・・・

クラシックの分野でこれほど大規模なイベントはこれからも出てこないような気がします。自分が会社でやっていた仕事にも近いので、このイベントにどれだけの費用が掛かるか、どれだけの人手が必要か、大体の見当がつきます。私たちが10数年にわたって身を置いていたことにどれだけの意味合いがあるか分かりませんが貴重な経験ではあったと思います。

栗友会のベテランの人と話す機会があると、10年間協演した「ヤマトタケル」が必ず話題になります。栗友会のみなさんの「自慢」は、初代の神武天皇から12代の景行天皇までの歴代天皇の名前、それに伊勢から陸奥までの12の国名を言える、ということです。「官軍」側の歌詞にあるので、10年間の成果ということですね。栗友会にとってもインパクトのある催しだったに違いありません。


※本稿に記載した内容は野村維男個人の意見・感想であり、松原混声合唱団としての見解ではありません。

編者追記

雨が降ってくれば「雨だ…、冷たい雨だ…。」、長く歩けば「足が三重に曲がってしまった…」、自分を鼓舞するときは「ゆーけー!ゆけゆけー!!」、飲み会では「飲め歌え~踊れ騒げ飲め歌え~」など、今でも何かとすぐ口をついて出てきてしまいます。やっぱり三枝先生のメロディーは中毒性が相当高い。楽譜も持っていますし、いつかまた歌いたいなあ~!(真下洋介)