松原混声に60年以上在団し、合唱連盟の活動でも活躍されている野村維男さんによる「むかしばなし」シリーズの第11回です。元は団員向けに執筆されたものですが、合唱文化の歴史の一端を知ることができる貴重な資料でもありますので、ご本人の了解を得て公開しています。
演奏旅行②
2020年6月18日
野村維男
京都府京都市(2005年4月)
関屋先生と演奏会前夜に永遠のお別れするという、あり得ないような辛い経験を思い起す合同演奏会です。そこに居合わせたことについて私は運命的なものを感じていました。
京都エコーとの合同演奏会は、浅井敬壹さんと京都エコーからの申し入れがあったものです。なにしろコンクール全国大会で20年連続金賞という合唱団です。関屋先生もかなりそれを意識されていたように見受けました。
合同演奏会はこの年の「世界合唱シンポジウム」を踏まえてお2人が選び指揮する代表的な日本の合唱曲の合同演奏と鈴木捺香子さん、清水敬一さんがそれぞれ単独演奏を1ステージという構成でした。関屋先生の選曲には後になっていろいろ考えさせられました。清水敬一さんの単独ステージは新実徳英「骨のうたう」でした。
普通なら演奏会を中止することも考えられる事態でしたが、演奏会当日にメンバーが集まり予定通り歌うことが関屋先生のご遺志にかなうことだとみんなの気持ちがまとまりました。私は松原の力強さを感じ、将来に向けての希望をもちました。大変だったのは清水敬一さんでしょう。関屋先生が指揮の予定だった曲の合同練習は当日のステージ・リハーサルで1回通すくらいの時間しかなかったのですから。
演奏会とその終演後の浅井さんと京都エコーそして関西と京都の合唱連盟のみなさんの支えを今でもありがたく大事にしています。
山形県山形市・鶴岡市(2008年6月)
山形市での演奏会は山形テレビと山形テルサの主催で、テレビのCMで告知されたりしていたそうです。
当日朝、山形新幹線でメンバー揃って出発しましたが「宮城内陸地震」が発生、どうにか宇都宮までは進みましたが、ここで延々と停車、街へ餃子を食べに行ったり、忘れ物をして新幹線に乗れなかったメンバーが在来線で追いついて来たほどの余裕がありました。
大幅に遅れて山形に到着、駅前の山形テルサホールを訪れてステージで歌い、主催者関係者だけに聴いていただきました。演奏会は幻となり先乗りしていたメンバーの「伝説」を増やすことになりました。(何しろ彼は阪神・淡路大震災の時にも出張で神戸にいたなど災害現場に縁のある人ですから)
バスで「月山ダム湖畔野外ステージ」に向かい、「森と水そして月光のしらべ」という催しに出演。とっぷりと暮れたステージで数曲歌い、その日は湯殿山温泉で遅い夕食と宴会の後に宿泊。
翌朝、湯殿山神社の「写真撮影禁止、土足厳禁」の御神体参拝の後に鶴岡へ向かいました。歴史のある街なのですが見学もそこそこに中央公民館で「清水敬一・ワークショップ&コンサート」へ。松原は「無量寿如来」「死者の贈り物」を歌い、最後に「大地讃頌」を全員合唱しました。地元の合唱関係者の方との交流も短時間でしたが持つことができました。
石川県金沢市(2011年5月、2015年5月)
2回とも「熱狂の日」音楽祭への出演ですが、1回目は金沢だけの出演、2回目は東京、金沢両方の出演でした。
「熱狂の日」音楽祭は普段クラシック音楽になじみのない人たちにも聴いてもらうことをコンセプトにしており、今年(2020年)は中止になってしまいましたが2005年から始まった東京の国際フォーラムでの音楽祭は毎年大勢の来場者を集めています。
2011年のメインは山田和樹/オーケストラ・アンサンブル金沢でブラームス「哀悼歌」、シューベルト「キプロスの女王ロザムンデ」より『羊飼いの合唱』を歌うことだったのですが、ほかにも3回のステージをこなしました。前日のエリア・イベントでは新実徳英「死者の贈り物」など、その後、金沢市アートホールでのコンサートでシェッグル「愉快な鱒」と信長貴富「呼び交わす言葉たち」、翌日の山田和樹さんのステージの後でやはりエリア・イベントがあり前日アートホールで歌った曲を抜粋して歌っています。清水敬一さんはじめ一同あっちこっちと動き回る2日間でした。その間を縫って、みんなで兼六園や21世紀美術館へ行ったりしたのも楽しい思い出です。
2015年は井上道義/オーケストラ・アンサンブル金沢でバッハ「カンタータ147番」から「心と口と行いと生活で」、コラール「主よ、人の望みの喜びよ」と同じくバッハ「マニフィカート」がメインでした。東京国際フォーラムでの本番が終わってから北陸新幹線で金沢に向かいました。この年の3月に北陸新幹線は金沢まで開通したばかりでした。
翌日は井上さんのステージの他に2ステージをこなす忙しい1日になりました。金沢アートホールでは松原単独ステージとしてヘンデル「メサイア」より、信長貴富「ヴィヴァルディが見た日本の四季」を地元の弦楽アンサンブルの協力を得て演奏し、またホテルのロビーでの無料公演ではプーランク「人間の顔」などを演奏しました。
福島県南相馬市(2013年3月、2019年4月)
「つぶてソングの集い」の2回の演奏旅行です。新実徳英さんと和合亮一さんによる「つぶてソング」を通じて被災地と交流し大震災のことを常に心に留めて復興を支えて行こうとする「集い」です。このプロジェクト代表の濱中康子さんが献身的に各地での「集い」を開催されてこられました。
初めて行った2013年の衝撃は大きいものがありました。私はバスの長距離移動が苦手なので仙台から常磐線と代替バスを乗り継いで行ったのですが途中は津波の被災地。国道から海までのかなりの距離に何もない地面が続いている光景に圧倒されました。バス組も誰もいない原発事故の避難地域を通ってきたことで同じような経験をしたと聞きました。
演奏会開会の際に市長が「7万人の人口のうちまだ4万人しか戻っていない」という発言されたのを聞いて震災後2年経っても復興が進んでいないことを改めて感じました。
昨年(2019年)、街はかなり落ち着いた感がありましたし、仙台から直通で来られるようにもなっていました。でもまだまだ私たちが心を寄せて行かなければならないのだと思います。2回の訪問で顔なじみが増えた地元の合唱団のみなさんが歌っておられる姿を見てなにかホッとしていました。
ちなみに南相馬が故郷のメンバーもいます。
福島県福島市(2015年3月)
福島市で初めて開催された「つぶてソングの集い」です。会場は福島市音楽堂、毎年、声楽アンサンブルコンテスト全国大会が開催されているホールです。
新実さん、和合さんのコンビは福島市制100周年記念讃歌の制作がきっかけだったとうかがったことがあります。その曲が「ふくしまをてのなかに」で会場全員で歌われました。また、ビデオレターでイタリアの合唱団が歌うつぶてソングが紹介されました。
この演奏会に地元の合唱団として出演されていたのがF.M.C混声合唱団でした。当日の指揮は新実さんでしたが、常任指揮者は高野洋子さんで、松原のOGです。松原のメンバーに高野さんを紹介することが出来ました。
本当なら今年(2020年)も福島市で「つぶてソングの集い」が開催される予定でしたが新型コロナウイルスの影響で中止になってしまいました。
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いろいろ思い出しながら書いていたら長文になりました。演奏旅行は松原をご存じない方たちにも聴いていただける、各地の合唱団や合唱関係者との交流が出来る、など新しい経験を得る場として大切にしたいと思います。
今年(2020年)は、福島以外にも京都へも行く機会があったのですがこれも中止となってしまったのがとても残念です。
※本稿に記載した内容は野村維男個人の意見・感想であり、松原混声合唱団としての見解ではありません。
編者追記;
2005年の出来事は自分にとっても本当に大きなことでした。その京都に今年(2020年)行くことができなかったのはとても残念です。2008年の山形テルサのコンサートでは私も1ステージ指揮するはずだった(新実先生の「無量寿如来」)のですが、幻に終わってしまいました。そのコンサートのポスターは今でも持っています。あ~演奏旅行に行きたい!!(真下)